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「村山槐多追悼交信儀」を行なう。
西島一洋。
日時場所未定ですが、決まり次第
このページにてお知らせします。
http://aetta.blog62.fc2.com/blog-entry-192.html厳密に言うと、追悼行為はすでに始まっている。
先日、岡崎からある二人の方が僕の自宅に訪れた。
一人は、ギャラリーを運営している方、もう一人は演劇の演出家。
その演出家が企画しているイベント(12月3日に岡崎のギャラリーで)で、槐多の書いた文を朗読して欲しい…とのことだった。
このお二人と僕は初対面であった。このお二人の槐多に寄せる熱情と純粋さは、往年の槐多を彷彿させるものがあった。
僕は、僕の素描のかけらを見せ、また僕の行為について彼らに話をした。
そして、演出家はイベントの内容を話し、僕は、僕の行為とその演出家の企画するイベントとの関連で出来ることを赤裸々に話した。
後日、演出家は僕とのコラボレーションは出来ないと言っているとのこと、ギャラリーの方から連絡をいただいた。
残念だが、僕は正しいと思った。
演出家にはこうやりたいというものが、はっきりしている。それでよい。むしろそうあるべきだ。
ただ、僕としては、この話があった時点(僕のところにお二人が訪れる数日前に大雑把な企画の話を電話で聞いていた)で、村山槐多追悼儀は行なうとすでに決めていた。
したがって、この岡崎のイベントには参加しないが、別途、極私的に「村山槐多追悼儀」は行なう。
日時、場所、現在のところ未定。
決まり次第、
この頁にてお知らせします。
内容については、村山槐多全集、つまり彼の書いた著作の朗読というか音読になるかと思う。
全集すべて。
したがって、毎度のことながら行為の時間は長い。おそらく、10時間以上。
読み終えた後に、30分ほどの行為終了の儀式を行なう。
「村山槐多全集」は通販で注文し、明日僕の自宅に届く予定だ。これは彼の文章の全集である。村山槐多は僕にとって重要な画家なので、彼の絵が展示された展覧会には何度も足を運び、また彼の画集とかはすでにいくつも持っているが、文章の全集があることをなぜか知らなかった。演出家の方がこの文集を僕に見せるまでこういう本があることさえ知らなかった。僕が今回注文した書籍は、刊行は1963年、つまり古本である。送料込みで4150円だった。
あす、届く。わくわくしている。と同時に、極めて重い。
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届いた。
これより、間歇的に音読を始める。
さて、音読とは何か。
槐多の書いた文章を音読して、意味があるのか。
黙読のほうが良いのではないか。
しかし、音読して見よう。やってみなければわからぬ。
漱石の「草枕」はおそらく100回ほど音読した。
「草枕」は音読しなければ意味が無いとさえ思うようになった。
「草枕」は音読に向いている。
槐多の文章は、おそらく、音読には向いていない。
これは、僕の直感だ。
しかし、あえて、音読に挑戦してみようと思う。
あの演出家の、あの熱意というか、心に。
◆ART-NEWS
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【2011-10-23(Sun) 23:36:52】
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